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産業中毒
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低濃度化学物質曝露による健康障害の実態と
診断に関する調査研究

(目的)
化学物質への低濃度曝露により、健康障害が起きたとして受診を希望する患者が近年見られる。原因物質は家屋等建造物などに関わる農薬や有機溶剤などと主張し、その自覚症状は、頭痛、だるさ、異臭の不快感、眼と上部気道の刺激など多彩な非特異的症状であるが、他覚的所見がないことが特徴的であるとされている。かかる患者が労働災害としても現れている。
このような心身の状態を、我が国ではシックハウス症候群として広く捉える傾向があったが、今日では家屋における化学物質や真菌類等に起因する状態をシックハウス症候群/シックビルディング症候群(SHS/SBS)として厳密に規定し、それ以外の環境で生じるものと峻別しようとしている。後者は、米国のMark Cullenが提唱したChemical sensitivity(CS、本邦では石川らが「化学物質過敏症」と称している)が含まれるが、世界保健機関WHOは国際疾病分類(ICD-10)には掲載せず、米国精神医学会のDSM-IV分類では、不安障害にも分類されている。近年欧米ではIdiopathic Environmental Intolerance, IEIと称し、特発性環境不耐症と訳されている。
本研究においては、上記の前者のSHS/SBSの実態を、個別症例について克明に分析することから本態を明らかにし、併せて治療法の検討をおこなうことを目的とする。付随的に、後者のCS/IEIについても分析をおこなう。

(意義)
SHS/SBSの環境要因である建物側と主体である患者側双方を検討して、双方の原因と背景を明らかにし、更には個別事例における特殊条件等をも検討し、個別の環境対策と治療、一般的/行政的な課題等について明らかにすることができる。
SHS/SBSにおいて問題となる建物には、化学的、生物学的、物理的な問題を多面的に把握して、対策における的確性を担保できる。また、近年の規制の展開により規制値がない物質によるSHS/SBSがみられ、行政的に新たな課題が生じているが、より具体的な問題解決が可能となる。SHS/SBSの患者に対しては、症状は時間経過とともに軽減すると説明されてきたが、SHS/SBS患者の治癒遷延例の分析から、その関係要因を解明して治療・対応策を講じることにより、労働者の職場復帰を早めることに貢献し得る。
付随的に行うCS/IEIについては、(1)過去や現在にもある不適切な使用による危険な事象を根拠に、化学物質にネガティブな感情を抱く、(2)根拠なき「化学物質に起因する健康上の不利な諸現象」、(3)発症時期のイヤな記憶、(4)不安傾向が強い、等々の患者側の背景を分析することにより、現行の、職場復帰を不可能にしている化学製品等からの「隔離」や根拠が乏しい「解毒」を超える、的確な治療戦略を立案・実行する基礎を作る。また、患者の背景を教訓に、科学的に根拠がある的確な化学物質に関する労働衛生教育への基礎資料を得ることができる。行政課題である職業起因性のCS/IEIについては、より的確な診断基準・適切な治療等により貢献することができる。

国内・国外における研究状況及び特色・独創的な点

(国内外の研究状況)
SHS/SBSについては、厚生労働科学研究により推進されてきたが、少数例の患者あるいは患者ではない対象者について調査したものが大部分で、臨床疫学的な研究は少ない。
CS/IEIについては、これを肯定的に考える人達を中心に行われ、批判的な研究、あるいは中立的な研究は国内では少数例しか行われていない。また、質問票「QEESI」日本語版を診断基準に用いて、カットオフ値を超えていれば、化学物質過敏症と診断するとの考え方があるが、これに対しては否定的な意見も多い。長谷川ら(アレルギー、2009)はオープン試験とシングルブラインド試験とを実施した結果、判定が自覚症状なので陽性率に差があった事を報告し、より正確な診断のためにはブラインド試験が必要であり、プロトコールの統一が望まれるとしている。
国外においてはSHSの概念はなく、SBSについて調査研究が行われてきたが、公衆衛生/衛生学からのアプローチが主であるために、必ずしも臨床研究は多くはない。CS/IEIについては、Staudenmeyerらが多種類の化学物質に対する過敏症を訴える患者に許容濃度レベルで負荷試験をしたが、症状の有意な誘発を証明できなかったと報告している(Reg Toxicol Pharmacol, 1993)。医学研究者はCS/IEIに懐疑的なようで、米国EPAへの疾病登録は2000年に却下されている。

(特色・独創的な点)
関西労災病院におけるSHS/SBSの診療については、集団発生事例や住宅環境事例の診察だけではなく、彼らの発症環境の化学物質濃度測定も実施し、総合的判断を企図してきた。一般病院では診療のみが行われ、大学等の研究機関では主として環境に関する検討だけが行われている。患者の診療とその環境の把握の両側面から検討を行う本機関の研究は、労災病院ならではの観点からの研究で貴重なものである。
CS/IEIについては、2009年10月から、健康保険診療の病名リストに「化学物質過敏症」の登録が予定されているが、その疾患に関する明白な定義も診断基準もないのが現状である。関西労災病院に設置されたシックハウス診療科では、室内環境中の化学物質濃度を極限まで下げた「クリーンルーム」における診察などを実施している。当該クリーンルームの環境については、負荷前後の気中濃度測定を行い、適切な環境である事を確認している(日職災誌、2007)。
様々な体調不良が室内環境中の化学物質に由来すると訴える患者はホームページなどを通して、当科ならば安心して治療を受けることができる筈として来院する。このような患者を過去5年間に渡って診療してきた結果、彼らのプロフィールをまとめることができるようになった。このような仕事は、専門外来を設置している当院によってのみできることであり、その知見は本疾患を定義・理解するうえで必須であると考えられる。さらには、厚生労働行政においても、本研究による知見は今後の医療政策決定に役立つと考えられる。